THE MODERNS S/T 7 1575円
限定500枚スエーデン初にして最良のモッドリヴァイヴァル・バンドTHE MODERNS! パンク・ムーヴメントでエネルギーを充填されたJanne(V/B)は、The WhoやThe Jamに影響を受けたオリジナルの曲をやりたがってた。1979年の初頭の時点で、Janneがベース/ヴォーカル、Tonyがリズムギター/ヴォーカル、Mats Johanssonがリードギター/ヴォーカル、Richard Lundqvistがドラム、という面子でデビューEPをレコーディング。バンドはスエーデンで沢山のギグをこなし、ストックホルムでは安定したレコードセールスに繋がる。インディー・レーベルのMandarine Recordsからシングル"Ready For The 80s" b/w "Identity"をリリース。レーベルの手筈で、バンドはEcho & The Bunnymenの最初のUKツアーに部分的に同行!!Mathew Street のLiverpool's Eric'sや、伝説的なロンドンのHope & Anchorなど沢山の場所をプレイして回った事もあった。スエーデンに戻ってくると、大手レーベルEMIがバンドに興味を示し始めバンドはオーディション後、EMIと契約を交わしファーストアルバム"Tro, Hopp & Fruktan"をリリースする事になる。 入手困難で大変高価なシングルを嬉しいリリース!おまけにCDも現在廃盤なのでさらに嬉しい!!!
THE MODERNS Ready For The 80's / Identity 7 1575円
DANSETTE DAMAGE The Only Sound / NME 7 1575円
DANSETTE DAMAGE:1977 年、フォトグラファーのエディー・ブロワー(風変わりなロック写真の世界との繋がりが強い)がベアーウッドでの結婚式でコリン・ホールとジョン・カヴァナーと出会う。77年の終わりにブラムのメイフェアー・スイートでのSTRANGLERSとSTEEL PULSEのライヴ彼らは再び出会い、仲良くなって行く。その時既に世間にはパンクがかなり浸透しており、彼らはいくつかの古いバンドが自主でレコードを作り、リリースして来た事やバンド達の考えに興味をそそられていた。コリンは既にいくつかのバンドで4年位活動をしており、MOTT THE HOOPLE、DAVID BOWIEやT. REX等のカヴァーを少し懐疑的に演奏して来たが、それらをぶっ壊し、やめる決意をする。 78年の1月下旬のとある日曜日にコリンとジョンはエディーの家でプロジェクトをスタートさせる。"The Only Sound"を45分で書き上げ、次の日曜には"NME"が出来上がっていた。コリンは元カヴァーバンドのメンバーであるジェフ・コリンズ(ベース)とレス・サルコン(ドラム)を誘いラインナップに加えた。エディーはケンプセイにあるオールド・スミス・スタジオを予約、、、、、、、とてつもなく高い訳ではないが、しかしメンバーには余裕がなかった。レコードスリーヴに使用する写真撮影は何人かの友人達の寄付によって行う事が出来た。シングルには7人のメンバー(演奏経験はたった3人)とゼロのスタジオ経験者の写真、そして凄くRawな2曲の歌が収録。エディーはLED ZEPPELINのボーカル、ロバート・プラントの家族写真を撮影していた時、ロバートがエディーにバンドがスタジオに入る日の前日にあるロバートのフットボールの試合に誘われる。そしてエディーはコリンとジョンを誘い試合を観戦しに行き、試合後エディーと一緒にウォルベリーにあるクイーンズ・アームズでの打ち上げに参加し、ロバートと話す機会を得る。数時間後、エディーは予約していたスタジオの事を話始める(LED ZEPPELINは長い間演奏しておらず、近い将来ロバートは何も予定は無かった)。多分酔っていたせいか、若者の興味本位でかは定かではないが、ロバートにスタジオに来てプロデュースしてくれないかと聞いてみた、、、、、、そういった経緯からロバートはレコーディングに参加する事になる。 UKパンクでかなり人気が高く、ファンも多いレアな1枚。 収録曲、"NME"は隠れたパンクアンセム的1曲! 遂に世界初
オフィシャル再発リリース!!
CELL 609 Factories 7 1575円
限定500枚
1977 年の終わり。 4人のベルギー人のミュージシャンはプログレッシヴ・ロック・バンドの"SHEAZ"で活動中に"First Belgian Punk Contest"?の事を知る。数年前に人生において重要な出会いである、SEX PISTOLSのアルバム"Never Mind"を聴いて大変ショックを受けていた彼らは、そのコンテストにバンド名を"CELL 609"と改め参加する事を決意する。 The Cell Number 609(SHAM 69を参考にして)の監獄服を着込んだシンガー、ジェーン・ポール・マーシャル。ギター、パトリック・モレル(バンドの殆どの曲をジェーンと共に作曲)、サイドギター、スウェネン、ドラムのジェーン・クラウド・ラドックというベースが居ない変わった構成。直ぐさま4曲のオリジナルを仕上げ、1978年3月に2日間開催されたコンテストで見事に勝利した結果、彼らはJWS Recordsとサインし1stシングル曲の"Re-Pulsion"、"Factories"のレコ[ディングの権利を得る。しかし、今ではベルギー・パンクロック・ファンにはコレクターアイテム化した1stは技術と宣伝の問題により、実際に流通される迄長い間待たなくてはならなかった。それにも関わらずバンドはベルギーを始めドイツ等を回り、アグレッシヴなパンクロックを披露し多くのファンを獲得して行った。そんな中に "First Belgian Punk Contest"のアルバムもリリースされ、シングル曲以外の2曲、"Om-ba-we-oh"、"Chaos in Belgium"が収録される。そして本来ならリリース予定であった2ndシングル、"High Time"、"Warm Me Up"の2曲だが、レコーディング前に25回のリハーサルをしたにもかかわらず、リリース前にバンドは解散し1979年(SEX PISTOLSのベースが死んでしまった為に、リエージュで当初予定されていた彼らのライヴにはなんと CELL 609がサポートで決まっていた!)に活動をストップしてしまう。結果、2ndシングルは残念ながらリリースされなかった BACK TO FRONT、BLOODY BELGIUM収録のベルギーパンク!!オリジナル盤は入手困難で大変高価!!世界初オフィシャル再発・